2007年12月 3日
偉大なる先人との別れ(西方見聞録 Final Stage 国道173号板坂トンネル)
今回の旅、最後の目的地は競輪ファンとして絶対に避けては通りたくない
京都府京丹波町と兵庫県篠山市のちょうど境(府県境)にある綾部街道のトンネル「板坂トンネル」。
このトンネルは10月31日午後0時50分頃、競輪選手としてはもちろんのこと
某ソーシャルネットワーキングシステム上において多くの人から愛され
「わきしんさん」の愛称で親しまれていた競輪選手「脇田眞一」さんが非業の死を遂げた現場なのである。

ここに私が到着したのは午後7時になった頃だったが
この現場はその時間にしてすでに通行する車が数分に一台程度しかないほど交通量が少なく寂しい場所となっていた。
ひとたび車が通ればトンネルを介して走行音が轟音のようにあたりに響き渡るが
それ以外はシーンと静まり返り、時々遠くの川辺で魚がはねる音が聞こえてくる。
今回は暗くなってからの訪問となってしまい誠に申し訳ない限りではあるが
トンネルの兵庫県側の入り口に献花されていた場所があったので、そこで故人の冥福を祈らせていただくこととした。
現場のトンネルは内部が坂になっているだけでなくトンネル内部で湾曲していて
入り口から出口が見えないような作りになっている。
両側の入り口には各2枚もの「トンネル内自転車に注意」の看板が設置され、注意を促していたが
トンネルの内部は道幅的には大型トラックの離合も問題なくできる幅員ではあるものの
路側には人間がカニ歩きをすれば通れる?程度の歩道しかなく、すぐ横には側壁。
自転車がトンネル内部で車に道を譲ろうにも退避する場所すらないどころか
トンネル内部の照明は薄暗くなっているなど素人目に見ても非常に危険な作りになっていた。

脇田選手の死去、選手登録消除を受けてkeirin.jpの脇田選手のプロフィール欄は
「本選手は、2007年11月01日に引退しました」という何事もなかったかのような表示に変わってしまったのだが
事故当日まで脇田選手のプロフィールには本人からのこんなメッセージが書き込まれていた。
「残り少ない現役生活ですが、コツコツ練習してキチンと調整してレースに挑みますので応援宜しくお願いします!」
競輪の歴史とは偉大なる先人達が命を削りながら走り続けた道。
競輪を見ている側の人間からすれば、どうしても競輪場という勝負の舞台で見せる
競輪選手の華やかな姿だけに目が行きがちになってしまうのだが
選手の表舞台での活躍の陰には必ずこうした日頃の地道な鍛錬や犠牲というものが
潜んでいるのだということを絶対に忘れてはならないのだ。
競輪選手、はねられ死亡=練習中、トンネル内で
31日午後零時50分ごろ、兵庫県篠山市藤坂の国道173号板坂トンネル内で、
自転車に乗って練習中の競輪選手脇田真一さん(46)=同県伊丹市昆陽=が
後続の大型トラック2台に相次いではねられ、病院に搬送されたが、約1時間後に死亡した。
(10月31日22時3分配信 時事通信)