2008年4月 7日

北関東抗争ようやく表面化(川崎記念優秀競走)

今年2月に行われた別府・東西王座の勝ち上がりを賭けた2日目。
勝ち上がりには1着条件の武田豊樹と2着以上が必要な兵藤一也
それに初日の一着でポイント的に余裕のある後閑信一が同乗したこのレース。

普通であれば武田の後ろは後閑が主張して、兵藤はハコをやるか3番手に引くかという番組。
しかしここで提案された後閑プロデュースによる作戦は意外にも後閑が折り合って3番手に引くというもの。
これにはさすがの兵藤も「折り合ってくれた後閑さんに感謝。いろいろあったけどこれでもう完全和解です」(アカギ紙面より抜粋)
と感激して、しっかりと武田をアシストすることに徹する。
レースは発走直後の後閑信一のまさかの自落(温情裁定により失格にならず)という思わぬ展開もあったが
逃げた武田を兵藤が抜かずに当初の目論見通りにしっかりとワンツーを決めてみせたのだった。

後閑の古巣である前橋競輪場では後閑落車のシーンがモニターに映し出されると
場内の客は一斉に爆笑していたのと同時に2着到達の兵藤が不運にも勝ち上がりを逸するという見事なオチもついたが
これによって後閑・兵藤の冷戦も無事終結。
これからは関東の結束が一層強まって行くのかと見られていたが
時を同じくして今度は栃木の神山雄一郎がキナ臭い発言を繰り返すようになり新たなる火種が姿を現すようになる。

「手島の後ろを回らなければいけない理由なんてない」
(飯嶋則之と手島慶介が同乗したレースで飯嶋が番手を主張したことに対して)「位置が気に入らないのであれば納得するまで競ればいい」
これはここぞと言うところで手島にインをしゃくられてしまった昨年末の広島記念での競走が影響しているのだろうか?

元々は自分が撒いた種とは言え、相手があからさまに別線を主張する以上
いつかは雌雄を決しないといけない仇敵の間柄となった手島と神山。
元来、手島は後ろに誰も付かない状態で自分の好きなように走るのが大好きな選手であるし
今回の川崎記念での「開戦」は手島にとって最高の舞台であったと言えるだろう。

この競走の選手紹介の際、手島慶介はいつもの通り自分のやる可能性のある動きをすべて提示して見せた。
もちろん神山とも併走していたし切れ目から自在かのような動きもしていた。
手島と言えば元々中々のヤマ師である選手だし、○○から自在のようなレースはしっかりと選手紹介で提示してくれることさえある。
言ってみれば選手紹介で律儀にヒントを教えてくれる、車券を買う側の人間とってはすばらしくありがたい選手だと言えるのである。

その手島が平原の番手を回る神山にほぼジカの状態で競りに行った。

競輪場内からはどよめきが起こったばかりか、中には手島を批判する声まであったようだが
手島にとってみれば後ろに地域スジの選手がいないこのレースは願ってもない最高の舞台。
現代競輪ではめったに見られなくなったガツガツとブチ当たる非常に熱い戦いを繰り広げてくれたのだった。

内に詰まって立ち遅れた後、再び追い上げてインから神山の横に競り込む。
最終ホームでは平原が引いてくれさえすれば手島が番手を奪取するかのように見えたが、そこはさすが神山。
一歩間違えば失格を取られても仕方がないギリギリのプレーで手島を内に放り込んでスパート。
最終2角を通過する頃には必死に抵抗する手島も完全に脚が上がってしまっていて見るからに危険な競りが続いたが
神山は最後までしっかりと番手をキープ。

これほどの激しい競り合いになっても車体故障はおろか落車もしなかったというのは
このふたりの高い能力を示しているものと言え
レースの結果云々よりもこのふたりの熱い戦いぶりに胸が熱くなったファンも決して少なくなかったことだろう。

やはり競輪の花形はヨコ同士のせめぎ合い。
カタカナのケイリンなんてものには存在しない熱いものが脈打っているからこそ競輪はおもしろいのだ。

= 訂正 =
このログでは一旦「広島記念で手島にインをしゃくられた神山は手島と共に共倒れした」と書いていましたが
それは筆者の思い違いで、神山は直線で踏み直して優勝しました。
訂正させていただきます。