2008年9月11日
9.11の悲しい出来事。君のことは絶対に忘れない。
G1デビュー戦となった2004年の寛仁親王牌の初日に果敢なHSカマシで先行し
志智俊夫・三宅伸らの強豪をいきなり完封して全国にその名を売ったほか
最近の若手選手としては珍しく、ひたすらに競輪の華である「ヨコの競輪」を追求し続けたことで知られる内田慶選手(栃木・87期)が
一宮オールスター競輪初日7レースの不運な相互接触による落車事故により亡くなった。
内田慶選手と言えば全プロ自転車競技会の4km個人追い抜きで負け知らずの強さを誇っていたために
周囲から言われる「4kmを逃げ切れるのだから自力でやればもっと強くなれるのではないか?」という声をよそに追い込みに転向。
当初はあるマーカーに「内田君がやっているのは競りでもなんでもなくただ当たりに来ているだけ」と酷評されるなどしたものの
位置がなければ競ってでも位置を取りに行くというという昔ながらの競走スタイルを徐々に確立し成績も安定。
今後の飛躍が期待される最中の出来事だった。
その競走スタイルからのイメージではかなり強気で勝気な性格なのではないかというイメージを受ける内田選手だったが
選手会のイベントに参加した際に同県の選手やお客さんと話す姿を見る限り
その競走ぶりから受けるイメージとは全く逆の年下の選手に対しても上から見下すこともなく同じ目線に下りて話していた姿が非常に印象的な好青年。
当然、将来的には栃木のリーダー格として選手を引っ張って行って欲しいという周囲の期待もあったことだろうし
今回の事故が周囲に与えた影響は計り知れないほど大きいものであったに違いないだろう。
こうした事故が発生すると「この悲劇を二度と起こさないために」という大義名分の下
今よりも更に「ヨコの動きを制限して事故を減らす」方向のルール改正がなされそうな雰囲気であるが
この事故はヨコの動きとは何の関係もない偶発的に発生した相互接触による落車事故が招いた悲劇であるし
内田選手が理想とした「競ってでも位置を取りに行くヨコの競輪」というものが
これにより更に制限されることなどは絶対にあってはならないこと。
競輪と落車はワンセットであることを理解したうえで、いたずらにヨコの動きを制限して競輪本来の魅力を削ぐことよりも
現在ではむき出しになってしまっているアゴの部分のプロテクターの導入など更なる安全対策の導入が急務となるだろう。
「グレードに関係なく、すべての競輪選手は命がけで走っている。」
競輪学校に合格すると同時に生命保険に加入するのが通例となっているように
選手になってからでは、いつでも死と隣り合わせで生命保険にも入ることができない職業として認定されている競輪選手という職業。
金網越しの戦友がこのような形でバンクを去って行ってしまったことは、この上なくつらく悲しく寂しい出来事ではあるが
位置取りを追求し続けた内田選手の熱い情熱の走りはこれからも永遠に競輪ファンの心に生き続けて行くことだろう。
内田選手、おつかれさまでした。
そしてありがとうございました。
あちらの世界でも競輪選手になって、これからもヨコの競輪を追求し続けて行ってください。
= 関連リンク =
・勝手にスポーツコメンテーター森下太志編(死亡事故発生でようやく救急救命士配置)
・勝手にスポーツコメンテーター森下太志編(前輪が潰れる落車事故の危険性)
・オールスター競輪での落車死亡事故について(keirin.jpより)