2009年1月21日
競輪ファンエッセイ集「NO MARK」
自らも競輪ファンであるというあざみエージェント代表・冨上朝世さんが中心となり
競輪ファン27名の心の叫びを集めて昨年末に刊行された史上初の競輪ファンエッセイ集「NO MARK」。
たまたま私の知り合いの方がこの本にエッセイを寄稿されていたこともあって
過日その方を通じてこの本を譲っていただき、私もようやくこれを読む機会に恵まれた。

最初はボチボチ少しづつ読み進めて行こうと考えていたこの本だったが
実際にページを開いて読み進んでいくと
そこには今は亡き競輪場の雰囲気やまだまだ競輪場に活気があった頃の現場の空気感。
そして競輪客なら誰しもが味わったことがあるであろう絶望感と言ったものが
次々と自分の目の前に押し寄せて来るようで、本当に一息で最後まで読み進んでしまった。
もちろん27篇の全部が全部そうではないにせよ
この本からはそんな現場の空気や現場で立ち回って来た競輪客ならではの熱い気持ちが一杯に詰まっていたのである。
私もこんなサイトをやっていると時々初めて顔を合わせた人などにこんなことを聞かれることがある。
「サイトの名前…一風変わった名前ですが、これには一体どういった意味が込められているのですか?」
実際のところ、いきなりそんな質問をされたとしても
誰にでもすぐに理解できるような回答をすることなんて到底できるものではないし
また、仮にそれができたとしても私とは著しく感性のズレ切った人には
その言葉の真意など恐らく一生かかったとしても理解できるはずなどない。
「ほら。あなたと一緒に見たじゃないですか?あのレース。」
「あの時の私達の周りにあった空気感。そしてあの時、私たちが受けた感動という実体のないものを
自分なりに表現してみた言葉こそがそのタイトルそのものなんですよ。」
現場その他で感動を共有することはそれだけで競輪ファン同士の共有財産となる。
そんな場面においては自分が買った車券がどうとか、車券が当たって儲かった、負けて損したなんて話ははっきり言ってどうでもいいこと。
あらゆる意味でビキビキに痺れる何かを求めて私は競輪をやる。
その緊張感や気合いは賭けている金額が1万円であろうと100円であろうと変わることはない。
人はそれぞれ自分の身の丈に合ったレートで身銭を切り
金網越しの付き合いしかない実に癖のある人種である競輪選手という男達にその思いを託す。
その先に待つものは歓喜か絶望か怒りか涙か?
最近では残念ながらそのどれも感じない
つまらないを通り越した「無感」のレースがほとんどになってしまったのは残念なことだが
万が一起こるかもしれない何かを求めて今日もまた競輪をやり続ける。
そりゃあ金はないよりはあったほうがいいが
つまらないレースなんかよりはここぞというレースで思い入れのある車券が取れたらそれでいい。
この本を読んで分かったことは競輪客の中には私のようなタイプの人間も少なからずいるのだということ。
読了後はただただ現場の空気が吸いたくなってたまらず競輪場に出掛けて行ってしまった。
これからも顔も知らないこんな人達と競輪を通じてビキビキに痺れるような何かを共有したい。
なによりも心の底からそう思えたからだ。
= 関連リンク =
・NO MARK紹介ページ(あざみエージェント公式より)